1982(昭和57)年12月16日生まれ

3012g、帝王切開で生まれました。理一郎という名前は、祖母が命名してくれました。


実家は以前、豊岡で北辰タイル工業を経営していました。地元の皆様にはたいへんお世話になりました。

1989年 武蔵野音楽大学武蔵野幼稚園 卒園

小さい頃から活発で、みんなの人気者でした。


バイオリンが大好きで、ピアノも習っていました。

1995年 入間市立東町小学校 卒業

少年野球(東町リトルパンダース)に夢中になって取り組みました。ポジションはキャッチャーでした。

1998年 入間市立東町中学校 卒業

中学校でも野球部の主将として、汗を流しました。

2001年 早稲田大学高等学院 卒業

学内ディベート大会(最終弁論担当)で、チーム優勝を果たしました。3年間同じクラスの仲間とは、今でも一生の親友です。

2005年 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業

大学ではサークル活動も楽しみました。かけがえのない仲間たちと充実した4年間を過ごしました。


中学生の頃からずっと一緒だった妻と学生結婚し、第一子が誕生しました。立ち合い出産をし、感動の涙を流しました。

2005年 日本政策金融公庫に入庫

実家業の倒産を経験し、中小零細企業の支援をするために政府系金融機関へ進みました。仙台支店、宇都宮支店で融資審査の担当として小規模企業支援に奔走しました。

岩手宮城内陸地震で、特別行政相談員に選ばれ、災害特別融資を担当しました。

2010年 公益財団法人松下政経塾に入塾(第31期生)

これまで感じていた地域振興のあり方や行政機構の問題意識に加えて、災害融資やボランティア活動を通じて、改めて政治の重要性を痛感し、政経塾の門を叩きました。妻と子どもたちを埼玉に残し、全寮制の生活で3年間みっちり政治の勉強をしてきました。


同期4名とフランス人インターン生とともに入塾しました。


米国大使館のみなさんと一緒に富士山を登頂し、ご来光に志を誓いました。


湘南国際マラソンに参加し、フルマラソンを完走しました。


厳しい稽古を積み、剣道は弐段に昇段しました。


落語も学び、高座にも上がりました。

柳家さん喬師匠から、玉介という名前も頂きました。


裏千家で茶道を学び、第十五代御家元の千玄室大宗匠にお呈茶をさせて頂く有難い機会にも恵まれました。


東日本大震災の発生以降、電気・ガス・水道のない自宅避難生活を共に過ごしながら、被災地の復興に尽くしました。


日本全国の様々な現場を訪問し、地域の課題を調査研究してきました。


2030年の日本の農業について共同研究をし、米作りにも取り組みました。


地域をフィールドに子供を育てる地域教育を推進するため、全国で実践活動を進めてきました。


米国国務省の招聘プログラムで「日米安保同盟の強化」をテーマに米国を横断しました。


3年間の修行を経て、松下政経塾を卒業しました。

2013年 医療法人徳真会グループ研修顧問

アジアで最も大きな歯科医療法人の年間1000時間に及ぶ研修を企画・運営しました。また、松村博史理事長が世界起業家大賞の日本代表に選ばれ、モナコの世界大会に同行しました。

防衛大臣 小野寺五典 秘書

政治に対する姿勢や人としての道を、近くで勉強させていただきました。

私が最も尊敬し、敬愛する政治家です。

松下政経塾政経研究所 研究員

アメリカ大使館との連携を深め、リーダーシップ・トレーニング・プログラムを共催しました。

2015年 埼玉県議会議員

4月3日告示、4月12日投開票の埼玉県議会議員選挙において、西2区(入間市)から出馬し、14,163票で初当選。

2019年 埼玉県議会議員 2期目当選

埼玉県議会企画財政委員会副委員長、公社事業対策特別委員会副委員長、新型コロナウイルス対策特別委員会委員を歴任。

2020年 入間市長 当選

1018日告示の選挙において当選 1118日より任期開始

家族 妻と4人の子ども

インターナショナルBENTOコンクールで世界大会に進出しました。

「イクメンパパの食育BENTO」が高い評価を受け、テレビにも取り上げられました。